一青妙さんのアドバイスもあり、マルやんが人生初の文章をネットに投稿しています。

http://www.nippon.com/hk/column/g00433/ 

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9月6日時点で、1698名の「いいね」と、128件もの「シェア」が記録されており、馬路楊の人生初の投稿が如何に皆さんに注目されているかを物語っています。

今の所は中国語しかありませんが、是非とも日本人の皆さんにも読んで欲しいので「日本語訳」を作成してみました。馬路楊は非常に謙遜されていますが、中国語の原文には難しい諺も散りばめられ、素晴らしい表現の文章に仕上がっており非常に感動的でした。時には翻訳が難しい部分もあり、個人的には中国語の勉強にもなりました。謝謝、馬路楊桑!


(日本語翻訳)

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台南の一人のビンロウオジサンの3000人もの日本人を受け入れる日々

2017827日 馬路楊

 

2年以上前に日本の作家である一青妙さんに偶然出会った。彼女の質問は多く、かつて私は彼女は少し変な女性ではないかと勘違いしたことがある。実際は、彼女の質問は広い範囲に渡り、詳細で「打破砂鍋問到底(鍋の底を突き破るくらいの質問、妥協せずに真理を追究する例え)」であり、十分理解してから初めて書き始めるという真理追及のポリシーでした。その後、私から彼女に対して思わず質問してしまう。「あなたは旅行に来ているのですか? それともフィールド調査なのですか? 何故そんなに台南に興味があるのですか?」と。

その時の彼女の回答は、「1冊の旅行に関する本を書く為」でした。その後の多くのやり取りを通じて、彼女は自身の著作である「私の台南」の中に、私のビンロウ店とその家族の物語を描こうとしていました。その本は日本人の為に描かれた観光に関する本であり、内容はその他の旅行ガイドブックとは違っていました。本で描かれる観光のポイントは彼女自身が実際に訪問し体験した観光地だけでなく、台南独特の人情味にあふれた多くのお店も描かれていました。

 

1.ビンロウ文化に好奇心を持つ日本人

ビンロウ店は父親が始め、私が引き継ぎ、現在開業以来52年になります。ビンロウは台湾においては主流の文化ではありませんが、中央研究院の歷史研究所が3カ月もの長い期間に渡り「ビンロウ文化展」を開催し、実はビンロウが悠久の歴史の持つ文化であることを示していました。

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多くの心無いビンロウ業者が「掛羊頭賣狗肉(羊の頭を掛けて、犬肉を売る。見かけを飾って内実を誤魔化すことの例え)」で長期間に渡り正しい経営をしてこなかった為に、人々から批判され、業界全体がマイナスイメージのレッテルを貼られる原因となったのです。一青妙さんが、そのような台湾のビンロウ文化や経営方式に好奇心を持った事から、その特殊性が本の中で描かれ、日本人に紹介されることになりました。それらが、その後の私の人生をこんな風に変えてしまうなんて、当時彼女は考えもつかなかったことでしょう。

 

台南で日常の仕事をしていると、私に会う為に「私の台南」の本を手に持った若者が突然現れ、私がお店で仕事をしている様子をジロジロと見つめたのです。そして一言、マルやんさん、こんばんは」。

 

その時、私と妹は茫然としてしまいました。数秒後には、私の妹は30年前に3カ月だけ勉強した日本語で「こんばんは」と返答しました。私と日本人観光客との最初の会話はこのように始まったのでした。その時の私は、「ありがとう」「さようなら」という2つの日本語しか知らなかったので、そばに立ち、妹が片言の日本語に加え、漢字を書いたり、英語を交えて会話するのを見ながら薄ら笑いを浮かべるだけでした。妹はそれらの会話を順次翻訳して私に伝えてくれたので、私達は徐々に会話が出来るようになりました。このようにして、私達は異国から来た最初のお客さんに接したのでした。

 

2.中国語の大丈夫は日本語のダイジョウブの意味ではありません

月日が流れ、多くの日本人観光客が台南を訪れるようになり、私のお店に来られるお客様も徐々に増え、総人数は既に3000人を超えました。私と私の家族は、日本人観光客の来店時の対応をし、観光ポイントやグルメについての紹介をするようになりました。私達のガイドや説明が、皆さんの時間を節約し、より多くの観光地を訪問出来るようになり、より多くの美食を味わえるようなることを希望しています。最初は2つだけだった私の日本語も、日々の経験で鍛えられて進歩して15フレーズになり、遠くから来られるお客様に対して挨拶くらいは出来るようになりました。しかしながら、私達の舌足らずな日本語を引き起こす笑い話で、冷や汗をかくこともたびたびでした。

 

今でも憶えていますが、日本人に飲み物を差し上げる時に、中国語の「請客(おごる)」の意味を伝えたかったのですが、私の日本語の発音が悪く、彼らに私が「生氣了(おこる)」と勘違いさせてしまいました。当時私は「丈二金剛摸不著頭緒(状況がサッパリわからない状態の意味)」でしたが、その後に識者から問題のポイントの指摘を受け、思わず笑ってしまいましたが、時すでに遅しで、彼らは既に日本に帰国してしまっていました。

 

日本人は礼儀正しい事で有名な国民です。単純に「謝謝」を表現するのにも何種類もの言い方があります。表現が長くなるほど、より礼儀正しい言葉となり、例えばあるフレーズでは11もの言葉になります。初めて日本語に触れた私にとって、これには大変驚かされました。ある時には、ご飯を食べるときに、箸を持ち「請用(どうぞの意味)」と言って食べ始めましたが、私は突然凍り付きました。なぜならば彼ら全員は私の分からない言葉を念じていたからです。これこそが日本人の食事をする際の礼儀だったのです。

 

私は多くの日本人を受け入れてきたので、当然色んな事件も発生しました。ある時には、観光地を紹介したいと思い、日本人を連れて武廟に行きました。簡単な日本語に加え、ボディランゲージで廟に入るときの規則を彼らに説明しました。廟は「右進左出(右から入り、左から出る)」と伝えたつもりですが、ところが彼らは私を引っぱり左の門から入ろうとしました。あれこれとボディランゲージで再度説明したところ、彼らは門の上の額に書かれてある「大丈夫」を指さすのです。同時に「だいじょうぶ」と声に出して読むのでした。私は慌てて「あれはそんな意味じゃないですよ」と説明しました。私は思わず、泣きたいやら笑いたいやらの気持ちになりました。

 

当然感動することもあります。台南で大地震が発生しマンションのビルが倒壊した時、ニュースは海外でも報道され、私のFBには友人から多くの心配する書き込みを頂きました。私は1人ずつ「台南の大部分は大丈夫なので心配は無用です」と回答しました。2日後には非常に重たい郵便物を受け取り、開けてみると箱一杯の電池でした。それは日本の友人から被災地区へ転送するように送ってこられた救援物資でした。そのような心配りには「除了感動,還是感動(非常に感動したことの例え)」しました。その他、多くの日本人の友人達は、非常に寒い気候にもかかわらず、日本各地の駅前で台南に対する募金活動をしてくれました。それらの映像に映る「歐吉桑(オジサン)」「歐巴桑(オバサン)」を見ていると、冬の寒い気候も暖かくなってくるような気がしました。

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多くの日本人と知り合いになったので、新年には多くの年賀状を受け取ることになりました。一枚のハガキから立体式のカードまで色んな種類がありました。残念ながらお年玉付き年賀状の抽選には当たりませんでしたが、それらは私の生活に特別な暖かさや刺激を与えてくれました。それは子供の頃から今に至るまで感じたことがないような感覚であり、皆さんの情熱に感謝申し上げます。

最近の日本人を受け入れる過程で発生した事の全ては、簡単に書き表すことは出来ませんが、私に深い印象を与えたことは確かです。

 

3.台湾と日本の文化は大きく違う

忙しく日本人を受け入れる日々で、私が今まで知らなかった日本と言う国であれ、ある一定の認識は出来てきた。彼らは何時頃に休暇があるかに始まり、礼儀作法、生活、文化等々に至るまで。

 

私は家に閉じこもる「井の中の蛙」に再び戻ることはないし、100名を超える良い友達と1000名を超えるFBの友人に恵まれたビンロウ屋となりました。俗説では「秀才不出門,能知天下事(秀才は家を出ずとも世の中の事を知る)」と言いますが、私は出国せずとも日本の大小の事情を知ることが出来ました。これは偏に忌み嫌うことなく質素なビンロウ屋を訪れ、たったの15フレーズしか日本語が話せない私と会話してくれた日本の友人達のお陰であり感謝しています。

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実は私は日本人の旅行に関して、内心では色んな疑問がありました。何故ならば多くの日本の友人達は中国語は出来ませんし、また簡単な英語が出来るだけです。もしも私だったら、見ず知らずの外国に自由旅行する勇気なんてありません。私は海外に行ったことが無いので、彼らがどのようにして、それら勇気・度胸・見識を持てたのかを理解できないでいました。彼らに対して、親指を立てて大きな声で「讃(すごいの意味)」と言いたいと思いました。

 

ある日本の友人は国際免許証でバイクをレンタルし旅行しました。またレンタカーでも観光地を巡りグルメを楽しみました。我的天啊(オーマイガー!)。台湾と日本では車の走る車線は違っていましたよね。運転席も右と左で違いますよね。凄いことです。これは私が「大驚小怪(小さなことに驚いている様)」しているわけでは決してなく、「讓我佩服的五體投地(全身を投げ出してお祈りするラマ教の五體投地という言葉を使い、心から敬服するという意味を表現)」です。

 

その他にも色々と疑問がありました。例えば、臭豆腐や魚の腸のように香り高くて美味しい料理を何故食べないのか? 刺身を食べるくせに、豚のレバーや鶏の心臓のような内臓をどうして食べないのか? よだれが出そうなトンソクだって何故食べる勇気がないのか? 多くの疑問に対して、いまだに答えはありません。

 

4.継続する歴史は観光の新しい1ページ

もし日本の旅行客が台南で最も好む幾つかの観光地を分析すると、名所旧跡と有名な台南小吃以外は、「月老廟」が多くの若者男女の必ず訪れたい場所となっています。但し、多くの日本女性は、そこに行きたい事を恥ずかしがって私に言ってくれない為、私は彼女たちの願いが叶うように秘かにお祈りしています。

 

その他、多くの旅行客は「烏山頭水庫」「飛虎將軍廟」を訪れます。地縁や血縁関係があるわけではありませんが、過去の台湾と日本の歴史が、今でも彼らに八田与一先生の銅像に花と果物を供えて懐かしませるのです。タバコを吸わない人でも、日本からタバコを持ってきて杉浦茂峰將軍にお参りするのです。これらは台南人の私にとって理解できない事ですが、英霊の存在が「澤被蒼生(多くの人々にご利益を与える)」となることを願います。

 

以前は台湾に来る日本人旅行客は今のように多くなく、台湾に対する認識も無かったですが、東日本大震災が発生以来、台湾からの無償の人道的な配慮が、多くの日本の友人達の台湾に対する認識を新たにさせました。また台湾には好奇心を満たすものが沢山あることを知り、台湾に観光旅行したいと思うようになったのです。これは別の意味での国民外交と言えるのではないでしょうか。

 

台湾人である私にとっては、自然と力が湧いてきて、更に「私の台南」を読んでやってきた観光客に対しては、喜んで私の乱雑で小さなお店を見てもらい、世間話をすることにより、私にも台湾と日本の友好関係に貢献する機会を与えてくれたのです。

 

私の日常はカラフルなものに変化し、本を読んでやってきた観光客は私の外見に引くことはなく、私のような「変なオジサン(実際はそんなに年寄りではない。ただ外見が老いているだけです)」とでも、喜んで一緒に記念撮影してくれ、お互いにボディランゲージで交流し、FBでは友人となりました。このような喜んだり驚いたりすることが、毎日のように続き、私の心臓を試しているのです。本当に刺激的で面白いです。

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台湾が好きな日本の友人達を魅了したのは観光地やグルメなのか、それとも台南人の濃い人情味なのかどちらでしょうか? 考えに考えても答えが見つかりません。私は「兵來將擋水來土淹(いくら難しくても、何としてでも答えを見つけることの例え)」であることを決心しました。私は「臉皮厚(面の皮が厚い、図々しい事の例え)」なので、表現を間違えて笑われることを恐れることは無く、お客さんにこだわり、お客さんを尊敬する気持ちで遠くから来られる客人に日々接し、「舊雨(古い友人)」であっても「新知(新しい友人)」であっても、私は必ず「知無不言言無不盡(知っている事は何でも話し、更に余すことなく語りつくす)」ように皆さんに説明し、ビンロウ店を訪れる全ての人に来て良かったと感じてもらえるように努力しています。

 

ここまで文章を書くのに、時には天を仰ぎ、時には地面を見つめて考え悩みました。こんなに長い文章は、30年以上も書いたことは無く、思いついたことを即書きならべてみたものなので、「牛頭不對馬嘴的大書特書一番(つじつまが合わない書き物の例え)」かも知れません。この文章を読んだ皆さんには、私の知識の浅さをご容赦頂けますようお願いします。

 

 

作者紹介:馬路楊

1965年台湾の台南市生まれ。1999年に父親が創業下ビンロウ会社を引き継ぎ、第2代目の社長となる。台湾で唯一の書籍も販売するビンロウ店で、また台湾で日本人旅行客が最も訪れるビンロウ店でもある。今までに3000人程度の日本人旅行客を受け入れ、同時に地元の文化の解説員でもあります。

 

(日本語翻訳: 201796)