「井仔足塩田」は前回行った場所ですが、今回もついでに連れて行ってもらいました。この塩田は既に現役ではなく、観光用に開発されているものですが、それでも私は観光客ですから見てみたいものなんです。

台南市政府文化局のサイトに以下の説明がありました。

台湾の製塩場の歴史をみると、北門製塩場のある「井仔腳塩田」は最も歴史があります。清朝の嘉慶23年(1818年)に作られ、かつては「瀬東場」と呼ばれていました。史書の記載によると、明鄭政府が任命した参謀、陳永華は平埔族の製塩技術が悪く、作られた塩は苦さや渋みがあったため、鄭成功に建議し、製塩方法の改革を行いました。その方法とは、海岸沿いを掘り、レンガなどを敷き詰め、海水を引き入れて、渋みを抜き、最後に干して乾燥させるというもので、一日で出来上がる方法でした。塩田事業は北門郷永華村の「井仔腳」に移され、製塩業は連綿と数代にわたって受け継がれました。台湾の製塩業は廃れましたが、台南県政府は遺跡を修繕し、観光産業として発展させています。また、雲嘉南濱海国立風景区管理処では、北門井仔腳瓦盤塩田をより知ってもらい、製塩業の文化を体験してもらえるように、スタッフによる解説サービスを提供しています。

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次は「七股塩山」をリクエスト。 七股は私が生まれて初めて見た塩田で、1990年の事でした。その時も、今回私を連れまわしてくれている同じ友人が連れてきてくれたものでした。当時の塩田は、「うわ~、ホンマに塩作っているんや」と感じるようなリアルなものでしたが、塩の山は見た記憶は無いので今回初です。

ネットで見つけた「七股塩山」の解説は以下の通りです。

七股塩場はかつて台湾最大の塩田で、主に国内の農工業用塩を供給していました。しかし時代の変遷に伴い、製塩はコストがかかりすぎることなどから、2002年5月、ついに七股塩場は廃止され、台湾で338年間に及んだ天日製塩の歴史も幕を閉じました。そして同時に、七股塩山のレジャースポットとしての時代が幕を開けたのです。

七股塩山の面積は1ヘクタールに及び、約6階分の高さがある真っ白な山が七股にそびえ立っているのはまさに壮観です。台塩公司は伝統と創新、製塩業の歴史と文化的なアイディア、産業と健康上の理念を融合し、製塩業の様々な形での発展を場内に展示しています。塩山、鹽如玉展示館、天日製塩体験コーナー、鹽屋、骨董機械展示コーナー、トロッコ列車など、他に類を見ない塩のテーマパークとして、楽しみながら学べる、国内、国外の別を問わず人々に最も頻繁に指定される、有名な観光スポットとなりました。

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こうやって見ると、まるでスキー場の光景ですね。

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監督さんの模範演技です。

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監督の指示により、何故か香港から来た小姐達と、日本のオッサンは記念撮影をしています・・・・

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何故か巨大な「招き猫」がいた。

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その昔、塩の運搬等で活躍していた列車が展示されていました。

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これは日本製でした。

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昔の写真。

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「増産して国に報いよう」というスローガンが時代を感じさせますね。

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七股の後は、安平に向かいました。

途中の道端で、カキのかき揚げである「オディエ」を買い食い。熱々で滅茶ウマでした。ええ年したオジサン二人で夢中で食べた。

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途中で、少し「鹿耳門」に寄り道してもらう。鹿耳門には有名な巨大な廟が2つあり、「正統鹿耳門聖母廟」と「鹿耳門天后宮」。前者は行ったことがあるので、今回後者を見てみた。個人的な印象では、前者の方が規模が少し大きいような気がするが、デザインは後者の方が台湾の媽祖廟らしい気がした。どちらも「ウチが正統派の廟だ」と言い合っているようで、真偽のほどは不明です。

ネットで見つけた解説は以下の通りです。

台南の西海岸に位置する「鹿耳門」。ここは1661年、当時オランダに支配されていた台湾に、後に台湾の礎を築く鄭成功率いる戦軍艦400隻がたどり着いた場所。航路が狭く水かさも浅い入り江に上陸することができないでいるときに、天の媽祖様に祈りを捧げたところ、みるみる水かさが増し上陸できたという言い伝えがあります。オランダ陥落後、鄭成功は上陸地点に廟を建て、媽祖宮と命名し台湾の守り神として奉祀しました。台風や洪水などの被害にたびたびみまわれた媽祖宮は、その都度、修復を繰り返しますが、ついに1871年の水害により完全に崩壊してしまいます。そして、第二次世界大戦終戦後の1946年に、もとの場所からほど近くの現在地に重建されたのが「天后宮」とされていますが、このお話にはまだ続きがあります。

ここから5キロほど北に離れた場所に北京の紫禁城を思わせるスケールの「土城正統鹿耳門聖母廟」という廟があり、こちらもその正統を主張しているのです。真相は藪の中…ではありますが、どちらも歴史的価値のある重要建築物である事に違いはありません。

穏やかな光差し込む廟内に一歩足を踏み入れると、そこは博物館さながら。千年の古木に彫刻を施し、800年ほど経過していると推定される媽祖様の神体。龍柱や扉に描かれた門神、それに陶器の破片を使って屋根に作られた剪粘や、壁の立体彫刻など、歴史的な芸術作品がずらりと並んでいます。
左奥におられる縁結びの神様、月下老人にも定評があり願いを成就させたたくさんの方々の写真が飾られています。しっとり参拝もいいですが、媽祖様の誕生日や、元宵節、そして旧正月にはたくさんの人でにぎわい、ひと味違った「天后宮」の表情も楽しむことができますよ。

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