バスで台北に戻りました。これから懐かしい台北の街歩きです。北門は高架に隠れてしまっています。救出してあげたいくらいです。
台湾で一番最初に知り合った人のお店がある通り。延平北路。
昔ここはお店が多くて活気ある通りだったそうです。大きなキャバレーなんかあったりして夜も賑やかだったそうな。でも今は寂しい限りです。
友人のお店。登山道具店。今でもあってよかった。
昔たまたま通りがかって知り合ったのが先代の主人。日本語世代のオジサンで、この辺りの古い通りを色々と連れて行ってもらった想い出あり。今はお亡くなりになり、息子さんがお店を続けています。
今回は久しぶりの挨拶をするとともに、レストランボレロへの行き方を聞くためでした。
延平北路を北に歩きます。
デーホワ街の通りに差しかかった所で逆の方向に曲がると、そこに「ボレロ」がりました。
そうです。ここです。歴史ある西洋レストランのボレロです。
このレストランの話になると、多くの人が「あそこはカレーライスが美味しいんだ」と言うので、私もカレーライスを食べてみました。
アルミの不思議な容器に盛られたカレーライスはレトロな高級感がありました。お子様ランチのようなご飯には、キャベツ炒めが付け合わされていて台湾の弁当のよう。更に「豚デンブ」まで添えてあったので正に台湾風です。
肝心のカレーは、柔らかく煮込まれたチキンは美味しかったですが、カレーの味は、本格派に慣らされた舌には全くパンチの無い感じがしました。良く言えば果てしなく優しい味でした。日本でも昭和の初期に食べられていたカレーって、こんな味だったのでしょうね。
食後にはコーヒーとフルーツがつきます。
メニューにレストランの歴史が書かれてありましたのでご紹介します。
1. 日本時代の1934年に開店。
2. 主人は輸入高級ステレオを店に置いて音楽を流していたそうです。店の名前もラベルが作曲した「ボレロ」から来ているようです。
3. 当時の進歩的な有名人に人気店になりました。また良家の子女の「相親(お見合)」の場所としても人気だったそうです。
お見合の話は有名で台湾人の友人からも聞いたことがあります。何でもお見合い中に女性が「牛乳」を頼むと「断り」を意味するそうです。ま 本当か嘘か知りませんが。
昔の写真です。
今の1階。カジュアルな感じ。
今の2階。 1階より落ち着いた感じ。
ボレロは何故か2軒並んでいます。
台湾人の友人に事情を確認した所、兄弟が喧嘩して2つに分かれてしまったそうです。右が本店で左が分店です。
ボレロでカレーを食べた後は、ディーホワ街を散歩します。
ここの廟では女性が特に熱心にお祈りしています。
市場も面白いです。
ディーホワ街を行き過ぎると川岸に出ます。
北京ダック・・・・
ディーフワ街の後にもドンドン街歩きを楽しみました。
昔の圓環があったところ。新しく出来たレストラン街は人気無くて今はこんな感じ・・・・
夜賑やかな寧夏路の夜市の通りも昼間は、こんな感じで只の普通の路地でした。
寧夏路の「鬚張ルーロウ飯」に行ってきました。ここって確か発祥の地のはず。
前回来たときも改装されていましたが、更に別物に改装されていました。どこまで発展するつもりやら・・・
店内にあった昔の写真。やっぱりこんな感じでやってほしいなあ。
これには笑わされました。何かと思えば、巨大なルーロウ飯の模型です。
カレーを食べたばかりですが、食べねばなりません。ここの「ルーロウ飯」。チェーン店で通な感じがしないので以前は馬鹿にしていたのですが、どうしてどうして、この味にははまりますよ。トロトロネットリ感が最高です。
更に歩いて、路地裏日本料理店。
今でも元気に営業していてよかったです。
http://takeshima.ldblog.jp/archives/50622412.html
凄いですよね。これって道端ですよ。
今回発見したお茶チェーン。
凄い種類のお茶を手軽に出してくれる。「COME BUY」で「カンパイ」と読ませるらしい。
お茶の種類の豊富さと手頃な価格に感心し、注文。ま 味の方は良く無かったですね・・・・・
そろそろ台北駅北側まで歩いてきました。
駅への歩道橋からフト見ると101が見えました。
駅の中を通過する際にフードコートの店名をパチリ。
駅の南側にある今夜のお宿のYMCAにたどり着きました。
台湾で一番最初に知り合った人のお店がある通り。延平北路。
昔ここはお店が多くて活気ある通りだったそうです。大きなキャバレーなんかあったりして夜も賑やかだったそうな。でも今は寂しい限りです。
友人のお店。登山道具店。今でもあってよかった。
昔たまたま通りがかって知り合ったのが先代の主人。日本語世代のオジサンで、この辺りの古い通りを色々と連れて行ってもらった想い出あり。今はお亡くなりになり、息子さんがお店を続けています。
今回は久しぶりの挨拶をするとともに、レストランボレロへの行き方を聞くためでした。
延平北路を北に歩きます。
デーホワ街の通りに差しかかった所で逆の方向に曲がると、そこに「ボレロ」がりました。
そうです。ここです。歴史ある西洋レストランのボレロです。
このレストランの話になると、多くの人が「あそこはカレーライスが美味しいんだ」と言うので、私もカレーライスを食べてみました。
アルミの不思議な容器に盛られたカレーライスはレトロな高級感がありました。お子様ランチのようなご飯には、キャベツ炒めが付け合わされていて台湾の弁当のよう。更に「豚デンブ」まで添えてあったので正に台湾風です。
肝心のカレーは、柔らかく煮込まれたチキンは美味しかったですが、カレーの味は、本格派に慣らされた舌には全くパンチの無い感じがしました。良く言えば果てしなく優しい味でした。日本でも昭和の初期に食べられていたカレーって、こんな味だったのでしょうね。
食後にはコーヒーとフルーツがつきます。
メニューにレストランの歴史が書かれてありましたのでご紹介します。
1. 日本時代の1934年に開店。
2. 主人は輸入高級ステレオを店に置いて音楽を流していたそうです。店の名前もラベルが作曲した「ボレロ」から来ているようです。
3. 当時の進歩的な有名人に人気店になりました。また良家の子女の「相親(お見合)」の場所としても人気だったそうです。
お見合の話は有名で台湾人の友人からも聞いたことがあります。何でもお見合い中に女性が「牛乳」を頼むと「断り」を意味するそうです。ま 本当か嘘か知りませんが。
昔の写真です。
今の1階。カジュアルな感じ。
今の2階。 1階より落ち着いた感じ。
ボレロは何故か2軒並んでいます。
台湾人の友人に事情を確認した所、兄弟が喧嘩して2つに分かれてしまったそうです。右が本店で左が分店です。
ボレロでカレーを食べた後は、ディーホワ街を散歩します。
ここの廟では女性が特に熱心にお祈りしています。
市場も面白いです。
ディーホワ街を行き過ぎると川岸に出ます。
北京ダック・・・・
ディーフワ街の後にもドンドン街歩きを楽しみました。
昔の圓環があったところ。新しく出来たレストラン街は人気無くて今はこんな感じ・・・・
夜賑やかな寧夏路の夜市の通りも昼間は、こんな感じで只の普通の路地でした。
寧夏路の「鬚張ルーロウ飯」に行ってきました。ここって確か発祥の地のはず。
前回来たときも改装されていましたが、更に別物に改装されていました。どこまで発展するつもりやら・・・
店内にあった昔の写真。やっぱりこんな感じでやってほしいなあ。
これには笑わされました。何かと思えば、巨大なルーロウ飯の模型です。
カレーを食べたばかりですが、食べねばなりません。ここの「ルーロウ飯」。チェーン店で通な感じがしないので以前は馬鹿にしていたのですが、どうしてどうして、この味にははまりますよ。トロトロネットリ感が最高です。
更に歩いて、路地裏日本料理店。
今でも元気に営業していてよかったです。
http://takeshima.ldblog.jp/archives/50622412.html
凄いですよね。これって道端ですよ。
今回発見したお茶チェーン。
凄い種類のお茶を手軽に出してくれる。「COME BUY」で「カンパイ」と読ませるらしい。
お茶の種類の豊富さと手頃な価格に感心し、注文。ま 味の方は良く無かったですね・・・・・
そろそろ台北駅北側まで歩いてきました。
駅への歩道橋からフト見ると101が見えました。
駅の中を通過する際にフードコートの店名をパチリ。
駅の南側にある今夜のお宿のYMCAにたどり着きました。
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