かつて台湾各地に蒋介石の像が立てられてありました。それが今では見るのが珍しくなりました。
ところが今でも蒋介石の像が活躍している場所があったのです。非常にシュールな世界でした。


今日は「蒋介石」が眠る「慈湖」に行くことにしました。朝早く電車で桃園まで移動し、まずは朝ごはん。私の愛するルーロウ飯と貢丸スープです。

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お店にいた子供さん。ドーナツのようなものを食べていました。
カメラに少し緊張しちゃいましたね。

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桃園からバスで大渓まで行き、そこでまたバスを乗り換えて慈湖へ。
その存在を知ってから20数年。やっと来れました。

慈湖の資料館では「二人の蒋」の特集でした。

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蒋介石が1975年に亡くなった時の様子です。

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道端に平伏す民衆に日本の天皇陛下の崩御の時のような感じがした。

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おおっ。蒋介石と毛沢東が乾杯していますね。

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これは蒋介石と蒋経国の2ショットですね。

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この写真を見て日本の俳優である「笠 智衆」に似ているなあと思った。

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これまた2ショット。いかしたサングラスがミスマッチです。

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ここからの写真が非常に新鮮でした。蒋介石と言えば、厳格な写真しか見た記憶がありませんが、人間らしい写真なので驚きでした。

蒋介石と宋美齢の結婚○周年のパーティーの写真らしい。

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宋美齢が蒋介石に何か贈り物をしています。

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満面の笑顔。まるでいいオジイチャン。

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「派手好きな嫁さん」と「偏屈な旦那」の組合せといった感じですか。

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こりゃまた楽しそうですね。

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蒋経国の奥さんと子供・孫達

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蒋介石・毛沢東・蒋経国がいますね。

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蒋介石が中国大陸の故郷で隠居している時の写真のようです。

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台湾を統治する為に派遣した陳儀に「台湾の統治方針」を連絡した原稿らしい。

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出来れば全訳を作ってみたいですね。

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蒋介石は韓国を訪問した事があったようです。李承晩大統領の隣の奥さんはチョゴリを着ていますが、どうみても西洋人じゃないですか。今まで知らなかったので驚きました。

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蒋介石と蒋経国の二人の蒋です。 堂々とこんな人形を飾る事が出来る時代になって良かったです。

蒋介石について良く思っていない多くの台湾の人がいる事は知っています。以前私の台湾関連のBlogで蒋介石の記事を紹介していたら、非難轟々な書き込みがあった経験もあります。

私はその圧政の時代を生きたわけではないので真偽の程はわかりませんが、歴史的な彼の足跡には興味があります。

今回彼の人間的なものを感じれた事や、詳細な執務日誌を読んでみて、規則正しく厳格な生活をしていた事も見れて少しだけ見方が変わった気がします。

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資料館が面白く予想外に時間を取られてしまいました。実はここに来た本当の目的は蒋介石の銅像の見学だったのです。

台湾中の至る所に蒋介石の銅像がありましたが、今では多くが撤去されてしまいました。長年の恨みを晴らすために破壊されるものもあったそうです。

しかし、撤去された後で、ここ慈湖で第2の人生をおくっている銅像もあり、私はそれを見にやってきたのです。 正に蒋介石像が第2の人生を送っている養老院のような場所なのです。

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これって怨念で破壊された部分あり完全には修復出来なかったヤツかな。

「りんご日報」の記事で紹介した事あるのですが、何時の記事か忘れてしまいました・・・

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おおっ、いますいます。蒋介石さん。

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なんともシュールな感じです。まるで前衛芸術ですがな。

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帽子かぶっているヤツもあるのですね。少し猫背な感じと相まって初老の老人って感じですね。

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一体全体蒋介石は何人展示されていたのでしょうか。

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これが所謂「慈湖」だと   思う・・・・・

雨降りだったので写真1枚撮ってささっと退散。

蒋介石は昔は大陸への反攻を夢見ていました。蒋経国の遺体も含めて、ここに埋葬されているわけではなくて将来に備えて仮安置されていたはずです。

そして今になって、その非現実的な路線も色あせて台湾のこの地で埋葬するとかしないとかの議論が何年か前にあった記憶あり。その後の結論はどうなったのかなあ。

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慈湖から再びバスで大渓の町まで戻りました。

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大渓と言えば昔の町並みが有名です。

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昼ごはんは「スルメの餡かけ麺」にしました。^^

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大渓のバス停です。桃園駅まで戻るバスを待ちます。

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桃園駅まで戻ってきました。おっと、ここの駅前には蒋介石が健在ですね。慈湖は近いのに引退せずに頑張っています。

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